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震災から12年たちました

あの大地震から早や12年が経過しました。

丁度あの時は、兵庫県宝塚市に住んでいました。

あの時の職業は、高校教師でした。

当日が「創立記念祝賀会」ということで、いつもより少し早起きをしなければならず、5時30分に目覚ましをかけていたが、起きれずに何回か止めていた。昨晩は生まれて三ヶ月目の長男の夜鳴きでなかなか眠れずにいたので、朝早や起きに苦戦していました。

そこで、5時47分でしたか、急に床が縦に大きく揺れ始めたのです。

たぶんこれは夢を見ていると思いました。

今までこんな経験は一度も無いからです。

あっという間に、嫁入り道具のたんすが目の前に倒れてきました。

横に寝ている妻の顔を見ることができず、あっという間にたんすの下敷きに。

「しゃれならんぞ!」と大声で叫んだのを覚えています。

早く悪夢から覚めろよ!リアルすぎるぞ!という意味でした。

しばらくして、揺れはおさまりましたが、家の家財は無茶苦茶。

真っ暗な中、家内に声をかけました。

そして、ぞーっとしたのです。

たんす扉がが、観音開きで家内の頭のところで開いたまま倒れているのです。

扉が開いていなければ、頭に直撃だったと思います。

でも生後三ヶ月の長男の声はしません。

火事場のくそ力でたんすを押しのけて、赤ちゃんを探しました。

普段は川の字で寝ていたので、家内の位置に赤ちゃんが寝ていたのです。

前日、夜鳴きしたので朝の早い私に配慮した妻が、たまたま一番端に赤ちゃんを寝かせていました。

幸いにも一番端には、たんすではなく上着をかけるラックがあり、当時の私の職業柄でダウンジャケットや防寒タイプのトレーニングウェアなどが数着かけてあったので、クッション代わりになって、怪我もなくスースーと寝ていました。

キッチンはガラスの海、外に出ると車の中に皆さん非難して、カーラジオを聞いていました。でもその時は、「何か大きな地震が・・・」程度で詳細はわからないまま。

電話は不通。携帯はまだ一般的に普及していません。

公衆電話を見つけて、大阪北部の母親に電話しました「三人とも命に別状はない」と必死に話しましたが、反応がおかしい。「ああ地震あったね。結構大きかったね。コップが一つ割れたわ」こんな程度です。

その後何回か余震があり、怖い思いをしました。

で私の地域は2、3時間後電気だけ復旧しました。

テレビをつけると神戸の悲惨な模様。

唖然としました。

そのあと西宮市の職場へバイクで、様子を見に行きましたが、想像を絶する悲惨さ。道路は地割れして段差だらけ。水道は噴出し、阪神高速は横倒れしていたのです。

学校へ向かう道のりは、地獄のようでした。近くの市民病院は怪我をした患者が外まで溢れ、アパートはくしゃくしゃになっていました。西宮市に向かえば向かうほど、目を覆いたくなる光景でした。

まだまだ、話足りませんが、住宅に携わる仕事を請けるというのは、医者と同じで命を預かる仕事だと思います。

デザインや外観も大事ですが、構造がいい加減では本当の幸せは、やってこないのです。

今もお客さんには、当時の阪神大震災のお話を必ずさせて頂きます。

一番大事なものは、お金でも車でもない。家族の命が一番尊いのです。

家づくりの原点であると私は、強く思います。

日時: 2007年01月17日 12:57 | コメント (0) | トラックバック (0)

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